100年に感謝。
次の100年に情熱を!!
名古屋ローンテニス倶楽部は1911年(明治44年)3月に創立され、本年2014年には104年目を迎えます。横浜インターナショナルテニスコミュニティ、東京ローンテニスクラブと共に、日本で3本の指に入るテニスクラブです。
当初、名古屋市東区松山町(現・東桜)に1面のコートと10坪のクラブハウスを建て、「名古屋庭球倶楽部」と名乗り、11名の会員でスタートしました。当時はまだ軟式の時代であり、名古屋における硬式テニスの幕開けは1919年(大正8年)のことです。この後4度のコート移転がありましたが、創立60年を経過した1971年には会員数700名を超え、全国でも有数の名門クラブに成長しました。1993年には1000名を超え、それ以降も申し込み希望者増加の一途をたどり、常時200名待機中という事態を招くほどでした。しかしその後、大規模なプライベートテニスクラブの設立や競技用の公営庭球場が創設されるのに加え、当倶楽部は自己所有の土地を持っていないという理由で移転問題が浮上し、徐々に会員数が減少してきました。
今後2014年4月から、当倶楽部は名城庭球場の指定管理者となります。100年もの長きに亘る歴史・伝統を保ち、次なる100年のために情熱とプライドを持ちつつ、社会貢献に力を注いでいきます。新生名古屋ローンテニス倶楽部の始まりです。
1911年(明治44年)3月 東区松山町(現・東桜)育英商業学校内に創立 コート1面 会員11名
コート1面新設
硬式テニスを採用する
1922年(大正11年)6月 中区七本松(現・千代田)へ移転 コート3面 会員57名
-
1924年~
全国各地のテニスクラブとの対抗戦を行うようになる
-
1926年
コート1面新設
-
1929年5月
日本庭球協会東海支部設立
支部長、幹事を当倶楽部が任務する 会員90名 -
1930年
コート1面新設
-
1933年
コート3面新設 合計8面 会員85名
記念を兼ねて、デビスカップ選手
歓迎模範試合を行う
1946年(昭和21年)5月 被災を受け、霞ヶ丘(尾張旭市/浅井竹五郎氏所有)へ移る
-
1946年5月
名古屋ローンテニス倶楽部は東海庭球協会と一体の形で復活
会員15名
1947年(昭和22年)11月 東区武平町の栄コート(現・愛知芸術文化センター)へ移転 コート5面
-
1947年
中部財界の著名人より寄付金を募り、コート5面、
倶楽部ハウスを作り、名古屋市に寄付する
同時に将来の管理を任せられる -
1950年
コート4面増設(2面スタンド付き)、倶楽部ハウス新築
全盛時代を迎える -
1951年
栄コートで全日本選手権大会開催
全米覇者のラーセン選手を始め、米デビスカップ選手が参加
これをきっかけに、国際試合が毎年のように続く
第1回「全国百歳庭球トーナメント」開催 -
1952年
中日テニス学校開校
1966年(昭和41年)4月 北区名城の名城コートへ移転 コート8面
-
1976年
名城コートで全日本選手権大会開催
コート5面増設 -
1989年
コート2面増設 合計15面、夜間照明設備完成
-
1993年
会員数1000名を超える 「会員の心得」の明文化
-
2000年
「全国百歳庭球トーナメント」第50回記念大会開催
-
2001年
名クジュニアテニス開校